2024.10.04

赤嶺民報号外第一号

県民と那覇市、久米島町、渡嘉敷村、座間味村、 粟国村、渡名喜村、南大東村、北大東村…の声を届ける
オール沖縄
あかみね政賢

安心と希望の新しい政治実現へ

保守・中道・革新・無党派の幅広い県民の心をひとつに
デニー県政を支え、平和で誇りある豊かな沖縄を

違いがハッキリ

辺野古新基地

オール沖縄あかみね政賢

民意の力で断念させる。
普天間基地の運用停止、無条件返還で対米交渉。

自民党の現職(比例復活)

アメリカ、党本部いいなりに辺野古を容認し推進。県は設計変更を承認すべきと発言。

大軍拡

オール沖縄あかみね政賢

沖縄を二度と戦場にさせない。
憲法9条を生かした外交で東アジアを平和の地域に。

自民党の現職(比例復活)

党国防部会長として敵基地攻撃能力の保有や沖縄の軍事要塞化を推進。

政治とカネ

オール沖縄あかみね政賢

企業・団体献金の禁止。
政党助成金も企業団体献金も受けとらず。

自民党の現職(比例復活)

辺野古新基地建設の受注企業から献金を受けとる。
「選挙前献金 国契約企業から 公選法抵触も」
(琉球新報、2024 年2 月22 日)

沖縄振興消費税

オール沖縄あかみね政賢

県経済の自立的発展、くらし応援で誇りある豊かな沖縄づくり。
消費税5%減税。廃止をめざす。

自民党の現職(比例復活)

基地とのリンク推進、特定企業・本土企業優先で振興策を歪める。

消費税10%を維持すべき。
(2021年毎日新聞アンケート)

憲法

オール沖縄あかみね政賢

憲法審査会で改憲反対の論陣の先頭に。安保法制は廃止。

自民党の現職(比例復活)

憲法9条への自衛隊明記「賛成」。
    (2021年NHK アンケート)

学費

オール沖縄あかみね政賢

学費半減、入学金ゼロへ。
返済不要の奨学金を増やす。

自民党の現職(比例復活)

政府・自民党は国立大学への交付金を削減し、授業料値上げを容認。

「沖縄の心」つらぬく
あかみね政賢

沖縄を二度と戦場にさせない
基地をなくし、安全・安心、誇りある豊かな沖縄へ

沖縄を二度と戦場にさせない
基地をなくし、安全・安心、誇りある豊かな沖縄へ

辺野古新基地建設やめよ
「沖縄の心」で政府を追いつめる

大浦湾側の軟弱地盤で工事の長期化は必至と追及。政府は完成の見通しさえ示せませんでした。新基地建設中止、普天間基地の無条件返還の対米交渉をと、迫り続けています。

戦没者を冒涜するな

沖縄戦遺骨収集ボランティア、宗教者の方々とともに「戦没者の無念と遺族の心情に寄り添って、南部の土砂を埋め立てに使用するのはやめよ」と政府・防衛省に要請。

ガマフヤー具志堅隆松さんと糸満市を調査

離島の輸送費補助の増額へ
県民の声を政府に届けて

農家から「補助がなくなれば花農家をやめる」など悲痛な声が上がっているとして、離島の農林水産物の県外への輸送費補助の増額を要求。

あちこーこー豆腐の存続へ

豆腐屋を営む事業者の声を届けた質問は、「あちこーこー豆腐、存続に光」(琉球新報)と取り上げられました。

若者や建設労働者への支援を

若年妊産婦を支援する民間団体への助成、建設労働者に適正な賃金が支払われるよう求めてきました。

沖縄いじめに屈しない
国政からデニー知事支える

一括交付金の増額を

一括交付金の減額で、河川・港湾の改修が遅れ、学校の危険箇所等の改修が見送られたと指摘し、増額を要求。沖縄振興特別措置法の附帯決議には、一括交付金の「必要な額の確保」が盛り込まれました。

「新建議書」実現へとりくみを

岸田首相(当時)に対して、玉城デニー県政の下で本土復帰50年の節目に策定された「新建議書」を正面から受けとめ、「基地のない平和な沖縄」へ向けてとりくむよう迫りました。

あかみね政賢歩み

あかみね政賢歩み

小禄・宇栄原生まれ、米軍支配を体験

沖縄戦で廃墟となった那覇市。米軍の基地が強制的に建設される
従兄弟と父の農作業手伝い中に戦没者遺骨拾うことも

青春時代から異民族支配を打破したいと県民とともに歩む

那覇高校時代から、野蛮な米軍支配に憤り、県民が大同団結して島ぐるみでたたかう復帰運動・大会などに参加。東京教育大学入学後は「沖縄返還」を訴えて全国を行脚しました。

沖縄返還を求める4.28 海上大会に参加

「沖縄を返せ」

(作詞:全司法福岡支部、作曲:荒木栄)
かたき土を破りて
民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が
血と汗をもって
守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ
我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ

1971年、国語教師に
山之口獏詩集など教科書にない沖縄の良さを教える
1972年、施政権返還
1973年、沖縄人民党が日本共産党へ合流
1974年、共産党の職員に

教師として、石垣島の八重山高校に赴任。そこで目の当たりにしたのは、相次ぐ台風や干ばつに襲われ、離島苦にあえぐ島人の生活でした。

生活を良くし、離島と沖縄、教え子の明るい未来を開くために政治を変えなければと教員を辞め、共産党の職員に。当時の瀬長亀次郎県委員長、古堅実吉書記長らと県民の統一と団結を大切にし政治革新へ奮闘。

八重山高校、八重山商工高校で教員

1985年、地元の方々におされて那覇市議に、親泊市政をささえて3期

国吉辰雄議員のあと を継ぎ、那覇市議へ
沖縄師範健児之塔慰霊祭を師範鉄血勤皇隊の生き残り古堅実吉さんと参拝

2000年、古堅実吉衆院議員のあとを継ぎ、衆院議員初当選(現在8期)

古堅実吉さんらと「沖縄を返せ」を合唱
2001年、アフガン戦争現地調査小池晃議員(手前)と

オール沖縄・翁長県政の誕生に奮闘
1区・オール沖縄代表として連続当選「うりずんの会」会長就任、団結強化を推進

(オール沖縄国会議員で結成)

2014年衆院選故翁長雄志知事稲嶺進名護市長と
小選挙区・1区で2014年、17年、21年と連続して勝利